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2016-01-16 (土) 13:30~15:00
つどい
「信仰を語る会」

 

アッサラーム・アライクム

 

標記の会を第三土曜日に開催しますので、ご関心の向きは是非ご参集ください。

 

日時;116(土)13時半~15時。時間厳守で開始します。

場所;JMA代々木事務所

内容;『イスラームの善と悪』平凡社新書、ただし次回は93101及び145~151ページ。

幹事;アミーン水谷理事

特記事項;男女成人対象。事前登録不要、会員の紹介による非会員・非ムスリムの参加可能。飲み物は各自持参。

 

  1. 20回会合のテーマは「悔悟」と「傲慢」ということでした。

    1)悔悟

     過ちを犯してから、正しい真実の道へ戻ることが悔悟(タウバ)である。さらにはアッラーも人に対して、同種の行為をとられることがある。それは悔悟する人に対して、その過ちにもかかわらず恵みを与えられるという意味で、免ずるという意味になる。悔悟する者には、アッラーは走ってその信者に近づかれるともされる。そこに、戻る、の意味があるのである。 

     悔悟はそれ自身が善行である、反省するのは早い方がいいということ、またそれは何回も頻繁に行う性格のものである。慈悲、誠実、正義などの諸美徳に照らして、常にアッラーに対して悔悟する精神が問われる。それは日本式に言うならば、反省を重ねて自らを律して、精神修養に努めるということでもある。

    2)傲慢さ

     傲慢さは人と人の関係もあるが、最終的にはアッラーに対してその偉大さと権能を否定し無視するような段階もある。他人に対して優越したいという願望が人の心に働くのは競争心であり、視点を変えれば生存本能とつながっている面もありそうだ。そして優越しているかどうかとは別に、そうであると信じたい性向のために、傲慢さの原因が作られる。または人は自分の欠点を知りつつも、それを無視してまで優越感を貪る悪癖も持っていると思われる。

     アッラーに対する敬慕の心がいわば原点であって、それは半面畏怖の心でもあり、そこから人間関係における謙遜も生れ出て、傲慢さを避けさせてくれるのである。傲慢さを排すべき理由の一つは、それが物事の真相を見えなくしてしまうことである。